会員ブログ・今月の【OTO】(kiko)

2021年5月7日


今月の【OTO】
MU



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ことからブログにお越しのみなさま。 こんにちは、kiko です。
今月の【OTO】は、MU

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このシリーズも今回で 4 回め。
4 回めにして、前回までと大きく違うことがふたつ。


ひとつは、作品が新作でないこと。

そしてもうひとつ。 作品に添えた文章がないこと。

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この作品は、【OTO】シリーズとして制作したものではありません。

そのために、作品名に[ ]がついていません。 もともとは、数年前に上野の森美術館での展覧会「第 21 回日本の美術 全国選抜作家展」 のために、制作・出品したものです。


単色にて世界を表現する「モノパステル」。 水色を使いたい、「MU」という響きと向き合いたい、ただそれだけで描いた作品です。
描いている最中には、様々な「MU」と私は出会っているはずです。 それは常に流れながら、意識・無意識の中で私の中に痕跡を残している。 でも、それらをすべて、描き上げた後に、言葉として集約することは絶対にできない。


現に、この作品を見て「これを見ているとニュートラルになれる」と言ってくださった方が います。
リセットされ、何ものでもないまっさらなもの=ニュートラル。
確かに「MU」のひとつの形。
でも、その時の私は「ニュートラル」を感じた記憶はなかった。 でも、「MU」と向き合う中で、その本質が作品に刻み込まれ、見た人にとって一番必要な 「MU」がその方に届いた、ということなんだろうと思います。


結局は、本質とはそういうところにあると思います。 誰かが感じたことを押し付けるのではなく、それぞれが感じたことすべてが正解なんです。


私は、【OTO】シリーズに向き合い始めた頃、私自身が作品、またその元になる【OTO】に対し て感じたことを言語化することを拒否していました。(そもそも【OTO】に限らず、作品にタイ トルをつけることすら抵抗がありました) 言語化されたものに限定されるのが嫌だったのです。 作品に刻み込まれた【OTO】たちの様々な側面を、それぞれがそれぞれの感性で、それぞ れに必要なものを感じ取って欲しいと思ったからです。


ところが、「そんな難しいこと、みんなわからないから言葉にしてもらわないと」と、とある 人から言われ、個展の前夜にそのとき展示した作品すべてにその時の私が感じ取った言葉 をつけました。 で、その結果、そのとある人に「やっぱりわからない(=日本語はわかるけど理解不能)」 「難しいことやりすぎるのよ」
凹みました。


それからしばらくぐるぐるしましたが、この「MU」が、私に「きちんと向き合えば、言語化しよ うとしまいと、必要としている人には届くから大丈夫」と教えてくれたような気がします。


なので、【OTO】シリーズとして描いた作品には言葉をつけ、それ以外の作品ではたとえ【OTO】をテーマにしても言葉をつけない、ことを自分の中での落としどころとしています。

そして、言葉があってもなくても、見ていただく方には、自由に感じてほしい。(これは、
【OTO】に限らず、私の作品に関しての共通した想いです)


ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、先々月の「100 分 de 名著」の中で、 「おもう」と読む漢字はたくさんある。
「思う」「想う」「忖う」「恋う」…

漢字は便利で、それを使うことで、どんな「おもう」なのかをはっきりさせることができるけ れど、同時に限定してしまう。 自分が「おもう」ことはどの「おもう」なのか、考えることはとても大事。 ということを話されていました。


【OTO】も同じです。 漢字にしてしまえば、限定されてしまうけれど、【OTO】にはたくさんの顔が隠れていて、受 け取る側に今必要な顔を見せてくれる。


必要な顔を受け取るためにはどうするか。 「どうせ受け取れないから」と決めつけるのではなく、「受け取ろう」と素直な気持ちで向 き合う。
たったそれだけのことです。 受け取ったものが他人と違う、だから間違っているんじゃないか、そんなことはありません。 人それぞれ必要なものは異なります。 必要なものが異なれば、受け取るものも違って当たり前です。


世の中がこんな不安定な状態になって、もう一年以上になります。

それだからこそ、今月、私はこの「MU」を選び、言葉をつけることをしませんでした。
それぞれがそれぞれの感じる力を信じ、それをきっかけにして、いま必要なことを考え、行 動する。 「感じる」とは、誰かが「感じた」ことに誘導されて、同じことを感じることを決めつけられる ものではありません。
自分自身が「感じる」ことを大切にする。

そして、きちんと必要なものを「感じる」ためには、地に足をつけ、日々を生きている自分自 身の生きる力を信じながら、「誰か」ではなく、「私」として物事にきちんと向き合う。

それが今を生きるために必要なことのひとつだと、私は思います。


そして、私はそれを心がけ、これからの日々を過ごしていくつもりです。

kiko
◇◆◇◆おまけ◇◆◇◆
「MU」について書いた私のブログの過去記事へのリンクです。

よろしかったらお読みください。
https://ameblo.jp/lady-kiko/entry-12129498507.html https://ameblo.jp/lady-kiko/entry-12132957832.html