沖縄本土復帰50周年に思うこと。

2022年5月19日


沖縄は今年、本土復帰50年を迎えました。

僕の地元では毎日のようにテレビで本土復帰50年の特番が組まれています。その番組を見るたびに僕も知らなかった沖縄に出会うことが、たくさんあります。

沖縄は本土復帰した1972年、ぼくは小学校3年生でした。50年前のことですが当時のことはよく覚えています。両親が窓を全部閉めきって薄暗い部屋でドル紙幣を数えているのを見ていました。銀行で円に交換するためにあらかじ数えていたのでしょう。そして交換されたきた円の紙幣を見た時にはおもちゃの紙幣?っていう日本円の第一印象でした。

それから本土政府から文房具などが全員に支給されました。たしか、記憶が正しいならニコニコマーク柄かウルトラセブンどちらかの磁石式の筆箱だったと思います。

その後、日本企業がたくさん入ってきて経済活動も大きく変化していきました。それから車道の右側通行から左側通行に変わるという730という交通ルールの変更もありました。7月30日の朝6時に沖縄全土の車が右側通行から左側通行に移動するという大イベントでした。まだまだ、人生でなかなか体験することができないイベントが沖縄には、たくさんありましたがこの辺で止めておきます。

復帰するまでの沖縄は戦後27年間、アメリカの統治下でたくさんの軍事基地が建設され、米軍人による犯罪が起きても日本の警察が介入できない日米地位協定が県民を苦しめました。

歴史を辿ってみると琉球王朝時代の中国文化の流入、琉球処分、アメリカの統治など琉球文化にいろいろな文化がチャンプルーされ独特の文化を作り上げてきました。

それは食事、音楽、芸能、工芸、生き方などに現れていて、日本の中でも異質さを感じますね。

その異質さが、本土では沖縄県民に対しての偏見という形で現れたことも真実です。

実際に僕自身も東京に出てきて賃貸アパートの契約直前に大家さんから「沖縄の方はちょっと、、、」ということで契約できなかったことがあります。その時はかなりショックを受けたことを覚えています。

その体験自体はどうでもよくて、僕は心と魂のケアをする専門家なので、そこに結びつけてお話をしたいと思います。

僕は以前から沖縄はターコイズ(自立・自由)とコーラル(依存・共依存)の課題があると思っています。自立と依存、自由と縛りです。

沖縄文化と異文化が交わることでできたユニークなチャンプルー文化、何度も大きな勢力の元で翻弄され変化し続けてきた歴史、地上戦の後の基地問題、それによって併発する本土との格差、そのすべてが、先程の偏見や差別を生んできました。

僕は本土に30年住んでいたのですが、沖縄から出てきてから、しばらくは沖縄人であることを少しだけ恥じている自分もいました。

そして沖縄に帰省するたびに、沖縄独特の常識(本土基準にすると非常識)、サービスの悪さ、仕事に対する甘さやゆるさに”いらっ”とすることも度々あったのです。しかし、そう言っている自分にもそういう部分があり、身内に指摘されることもありました(笑)かなり、ゆるい性格です笑

この50年間、沖縄は本土とのギャップを埋めるために県民はエネルギーを注いできました。それが何よりも大切なことだったのです。それでも現実的には沖縄は低所得ランクのトップです。

語弊がありますが、沖縄の人たちはどちらかというと大局的なことより小局(個人)的なことを優先する気質があるように思えます。

もちろん琉球文化の誇りや郷土愛は持っていたと思いますが、沖縄の領土や文化を守る事より生きるということを重んじた結果だと思うのです。

「命どぅ宝」という言葉にも表現されていますね。

何かに依存して助けて合っていく方法で生き延びてきた。だから遠い未来のことより、今日をどう生き延びていくか?に意識が向けられたのだと思うのです。それが計画性のなさや忍耐力のなさにも繋がっているのかな?って思うのです。だから、全てがゆるゆるなんです。

でもそれがいい感じなんだと、30年ぶりに帰ってきてやっと気づいたのです。

本土に旅立つ前は沖縄のことが好きでも嫌いでもなく、ただすべての面で遅れている社会の状態が嫌だった自分がいました。

那覇の街も今ではビルが立ち並び、国際通りは観光客向けのお店ばかりが並んでいて、昔はあった面白い喫茶店や食堂、青果店、ライブハウスなどはなくなっています。

長々と書いてきてしまいましたが、沖縄は復帰後本土とのあらゆる格差を埋め合わせ、その水準を高めることを目標としてきました。そのおかげで沖縄も本土並とは言わずとも生活は豊かになってきたので、その成果は現れてきたのではないでしょうか。

ただその一方で、本来の沖縄の良さが無くなってきているのも感じるのです。

先程記述したように、沖縄の人は個人的な感情を優先する気質があります。合理性や大局的な捉え方より、そのときの自分の感じたことを選択の指標にするのです。良い意味でも悪い意味でも女性性を使う。社会的には出してしまうと、「話にならない」と相手にされなかった感情を優先する在り方です。

これは意識レベルが低いと言われればそれまでですが、その生き方が沖縄の魅力にもなっていたと思うのです。

より大きなものへと統合していく流れは大切なことですが、その本質を失うことにもなりかねません。

占星術的に言うと沖縄は海王星だと思うのです。理想郷(ニライカナイ)を求めてやまない性分、でもなかなかグランディングできない

し、すぐにあきらめてしまう。日本人の美徳とはかけ離れた在り方です。でもそれが沖縄、それでいいと思うのです。かなり語弊もあると思いますが許してください。

これは個人レベルでも同じだと思います。情報過多の時代において、自分自身を大衆の基準に収めないと不安が生じる世の中になってきました。結果がどうであれ、自分を信じて自分に従う生き方を目指していけばいいのだと思います。責任をとって自害する必要はありません。

もちろん、より意識を高め1つのものへと統合していくことは大切だと思っています。

ただ今回の本土復帰50年を通して思うことは、何かにならなくていい、何かに寄せなくていいのです。自分は自分以上でもなく自分以下でもないのです。そのままでいいと思うのです。